.       「檻の中」

                                             ,

        退屈な日々を過ごしていたあの日、同じように時間を持て余す彼らに

        出会った。 彼らはシミで汚れたガラスを通して何かを訴えるかの様に

        見えた.彼等に与えられた生活の場は、冷たいコンクリートに囲まれた

        わずかな空間でしかない。何の変化もない暗い檻の中に押し込められ

        た彼等に新しい日々はなく、ただ退屈に一日を終える。 彼等はここで

        産まれ、ここで死んで行く。 彼等の生活の影が熱いコンクリートの壁

        に滲んで見えた。 ガラス越しに見る外の世界で、彼等に映るものは何

        だろうか。 不安げな、何も信じていない彼等の目、僕には忘れられな

        い。 彼等は暗い檻の中で生きられる動物ではなかった。コンクリート

        に押し潰された彼等の生活は悲惨なものでしかない。

        我々人間はなぜこんな残酷な事をするのだろうか。

         人間が自由に生きる事によって動植物は滅びてゆく。それは、人間

        の欲望の結果、自然界の調和の中に生命保存がある事を忘れさせ

        てしまった姿でしかない。 今地球は、非常に危険な状態にある。その

        最大の原因は、人間のエゴという病気にある。一人一人が生きている

        事を自覚しなければ、この伝染病はまもなく地球を覆い尽くすであろ

        う。

 

         人間は明日の、いや一年後の満足をも得ようとする。無限の欲望に

        とりつかれた魔物といえるのではないだろうか。 その欲望が自滅を招

        き、世界を崩壊させるのだろう。しかし、いまだに人間たちはお互い

        の共存共栄を無視し、他に迷惑をかけても自分だけが生きようとする

        所に問題がある事に気付かないでいる。 そして、社会全体が次第にエ

        スカレートし、悪習慣の中で自分もそう出なければならない様な錯覚

        に落ち入っている。そんな形式社会の中においては、何のために生き

        ているのか、それさえも分からなくなってしまう。

 

         作られた法律、作られた習慣が社会のルールではなく、他に迷惑を

        かけない共存の姿が本当のルールであると気付き、誠意を持って行動

        するとき必然的に答えは出て来よう。

 

         人間はエゴによって彼等を檻の中に押し込み、我々自身をも長い年

        月の流れの中でエゴと形式の檻に閉じ込めてしまった。不満のない生

        活は、新たなる欲求を生み、逆に不幸に感じさせる。本来の精神を忘

        れ自然のルールを無視し続けた我々が今になって檻の外の生活を求め

        ても、すでに望めはしない。 檻の中で生きる彼等と我々の生活。共に

        檻の中の限られた世界に生きている。

 

 

                    1977年〜1978年